2013年6月10日 ガーデニングと生物観察

今年も朝顔と風船葛の種をまいた。毎年、愛らしい花を咲かせ、種を集める楽しみをくれる花たち。成長が楽しみ! そして、今年は唐辛子、パセリ、イタリアンパセリ、バジルといったハーブ系と共にキュウリとレタスも購入。キュウリとレタスは、実は買った時は、ちょっとくたびれた雰囲気が漂い、だからこその値段!って感じだった。「これはどうかな、まあ、枯れてもしかたないね」と話し合っていたのだが、世話が良かったのか(世話はあくまでもダンナの仕事で私はたまに水やり)、どちらもめきめきと成長し続けている。レタスはもう収穫してサラダとして食卓にも登場。

ハーブたちの方は、唐辛子(唐辛子はハーブか?)が、アブラムシの攻撃を受け、大変なことになっていた。毎日たくさんのアブラムシがついていて、殺虫剤をまいてもあまり効果はない。アブラムシの天敵テントウムシとその幼虫がいい、というので、ダンナが幼虫を3匹捕ってきた。確かに食べているが、3匹程度の幼虫ではアブラムシの敵ではない。そうこうしているうちに幼虫はさなぎになってしまった。アブラムシは減らない。そこでついに石けん水で唐辛子を洗うという荒技にでた。幼虫は避難させ、アブラムシの付いた唐辛子を洗いに洗って流した。その結果…

アブラムシは撃退できた。唐辛子の葉は死にかけている感じだが、新しい葉がたくさん出てきた。そして、幼虫はテントウムシになった。2匹はニホシテントウに、1匹はたくさんほしのついたオレンジ色のテントウムシになって飛んでいった。長い人生、テントウムシの幼虫が成虫になったのを私は初めて見た。さなぎの状態も子供の頃に見ていたのかもしれないが、全く気づかないままでいたのだろう。テントウムシのさなぎというのをまじまじと観察する機会を今回アブラムシによって得たのだ。これは、数年前に子供が飼っていたカブトムシの幼虫がさなぎになり、成虫になったこの過程を観察したときと同じ不思議だった。カブトムシは雄と雌がいたので、最後には卵も産んでいた。これまで図鑑でしか見たことのなかった「虫の一生」をこの時初めて実物で観察できたのだ。

メダカの一生も子供が小6から中1に掛けての年、実際に観察した。これは5年生の理科の時に学校でのメダカの観察が全く出来ないままで終わってしまったために我が家でやってみた観察だ。ここでもメダカが卵を産み、孵るのを観察した。小さい小さいメダカの子が大人になるまでの、そしてその一生を終えるまでの観察だ(今もまだ世代交代したメダカが我が家にいる)。

人間よりも数段も小さい生き物たちの生の一生。この神秘を学校で学べないどころか、もはや家庭でさえも学べない状況が今の日本だとしたら、これまで目指してきたものは何だったのだろう? これからどこへ向かうのだろうか? 生物本来の目的、本能とは、命をつなぐ、ということではないのか? などと考えいている人も今ではマイノリティなのかもしれないが……。

なんてわけで、図らずもこうした経験をいい大人になってからした私は、ますます現代社会の歪みに落ち込んでいる気がしたのであった。