第25回 松平照

まつだいらてる(1833-1884) 会津藩主松平容保の姉
動乱の江戸幕末期、自らの行動でその立場を示した姫君

上総飯野藩主保科正丕(まさもと)の娘として江戸藩邸で生まれた。保科家は会津松平家と同祖の間柄で、照は10歳の時、松平容敬の養女となり、江戸会津藩邸に移り住んだ。容保より2歳年上の義姉になる。18歳の時に豊前中津10万石奥平大膳大夫昌服に嫁いだが、間もなく離婚して会津藩邸に戻った。

1869 年2月、会津藩江戸総引き揚げによって初めて会津へのお国入りとなる。8月23日からの若松城籠城戦には毅然として600有余の婦女子を指揮し、500名以上にのぼる傷病兵の手当てや食糧調整、敵弾の消化処置まで、てきぱきとこなしたという逸話が残っている。開城後は、会津藩の責任をとって自刃する家老萱野権兵衛に万感をこめて慰めの和歌をおくったことは有名。1884年に東京小石川の保科家で病死した。なお、熈(てる)が本字であるが、自らも「照」の略字を使っていたという。

白虎隊 [DVD] 日本テレビの年末時代劇の中の1986年作品「白虎隊」(主演:里見浩太郎=会津藩家老の西郷頼母。容保役は風間杜夫)では、多岐川裕美が照姫を演じていたが、非常に印象的で私の抱いていたイメージには合っていた。幕末物のドラマや映画ではやはり激動の時代を生きた志士が中心で女性の登場シーンは少ないし、キャスティングされることもあまりないので、注目度は低いと言えるかもしれない。

幕末の女性といってすぐに思いつくのは、おりょう、幾松、和宮、楠本イネといった人たちあたりか。どの女性も大河ドラマや特別番組のドラマの中で登場、あるいは、志士の恋人ということで必ず登場するといってもいい女性。

だが、実際の歴史の中ではその流れの中で埋もれている多くの女性たちの活躍や働きがあったはずだ。それは年齢や身分など関係なく、志士たちを支え、あるいは身分ある侍たちを陰日なたに助け、そして底辺にいた多くの庶民たちの日々の生活の中心となって、まさに「時の大河」といえる歴史を紡ぐ一端を担っていたのだと思う。もちろん、それは今を生きる私たちも同じことが言える。

照のことは他の多くの女性と同様、あまりよくは知られていない。ドラマの中に登場しても創作の部分も大いにあるだろう。けれど、現在残っているエピソードを見ても自分の生き方を見極めた女性だったのではないか、と私には思えてくる。

会津藩の姫君として、激動の幕末(当時は今のように別の角度から見て、というわけにはいかないだろうが)をどのように生きるのか。自分はどんな行動をとるべきか。一度、他家へ嫁いだ彼女が、どんな経緯で会津に戻ってきたのかは、よくわからないが、言わば出戻りという立場では居心地の悪いこともあったのではないか、と女の私は想像してしまう。それでもなお、会津藩の姫君としての立場や責任を全うした彼女に共感を得る女性は少なくないのではないだろうか。現代でも非常に魅力的に見える女性だ。(2005/10/28)

2018/10/24追記:2007年に制作されたテレビドラマ「白虎隊」(テレビ朝日系で放送)にも照姫が登場しているようだ。私は未見であるが、和久井映見が演じており、容保役は東山紀之だ。山下智久演じる白虎隊士酒井峰治が主人公とのことで、メインの役はジャニーズの面々が扮しての作品。


松平容保(1835-1893): 尾張徳川家支藩の美濃高須三万石松平義建の六男として江戸四谷藩邸で生まれた。幼名銈之允(けいのすけ)。12歳で会津藩主松平容敬の養子になり9代藩主となった。1862年に京都守護職就任、孝明天皇の信頼を得て恋形見 (角川文庫)いたが、将軍家茂に続いて孝明帝が病死すると政情は急変し、幕府とともに戊辰戦争へと突入。会津戦争で籠城の末、降伏する結果となった。維新後は、子爵となり、東照宮司となり、1893年12月に波乱に満ちた生涯を閉じた。
照姫のことを書いた本に、中村彰彦の「恋形見」がある。照姫と容保の悲恋を描いたものだ。

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