2017年9月17日 宇宙はどこまでも

9月15日に土星探査機カッシーニがミッションを終えたとのニュースが流れた。1997年に打ち上げられて20年近く土星の情報や写真を地球に送り続け、最後には土星の大気圏に突入して、その使命を終えたとのことだった。宇宙の美しい写真をいくつも私たちに送り、宇宙研究のためのデータを数々送ってきたロボットの最期は、私も観ていてちょっとセンチになってしまった。
以前、火星探査機オポチュニティとスピリットの番組を観たことがあるが、こちらもまたカッシーニ同様、データを送り続けるただのロボットとは思えない素晴らしい働きだった。
日本でも、小惑星探査機はやぶさの偉業が映画になった。遠く離れた小惑星イトカワからサンプルを取り写真撮影して戻るプロジェクト。困難を乗り越え戻ってきたはやぶさに日本だけでなく、世界中が驚き歓喜した。
人がたどり着けない、たどり着いても活動が容易ではない宇宙で、プログラムを頼りに多くの宇宙の情報を送るロボットたちの賢さと健気さに不思議と胸が熱くなるのは、誰もが同じじゃないかと私は思う。感情があるわけではないのだから、研究者やエンジニアたちの努力に報おうとしているのとは違うのだろうけど、そして人類のためとか、地球のためとかいうことでもないだろうけど、見ている方はきっと純粋さと懸命さを感じてしまうのだろう。当然それは研究開発に関わった人々の努力の賜物でもあるからだ。
ちょっと、うるっとしながら、カッシーニの映像を見ていたら、2008年のディズニー映画「ウォーリー」を思い出してしまった。内容は宇宙探査とは違うけど、ちょっと感情を持っているのかな、と思わせるお掃除ロボットのウォーリーもプログラムされた内容の使命を黙々とこなす毎日。地球が汚染されて人間は宇宙に逃げ(宇宙船の旅をしている)、ほとんどのロボットも壊れた世界となっている中、ひとりぼっちのウォーリーが昔の古い映画(追記:この劇中映画は何かとずっと考えていましたが、先日「ハロー・ドーリー!」であることがわかりました。ミュージカル好き、ジーン・ケリー(この作品では監督)好きを自認する私ですが未見です。2018/9/2)を何度も再生して友達を求めているのだとわかる。その彼のロマンスと宇宙に逃げた愚かな人類の再出発というラストになっていた。
よりよい生活や環境のために科学研究し、コンピュータやロボットを開発してきた人類が、そのコンピュータに惑わされ、ロボットに気づかされる現実や真実。皮肉でもあり、人の傲慢さが垣間見える瞬間だ。
現代では、もはやコンピュータやロボットなしの世界は考えられないくらい身近になっている。科学の発達を止めることはできないだろう。宇宙だけでなく、自然科学も化学も含めてさらなる研究ももちろん必要だろう。でも同時に、SF映画で描かれるような悲惨な未来の地球への道を選んでしまわないように人もより進化(成長?)しなければ、ミッションを成功したロボットたちの成果を生かすことは出来ないよね?、なんて考えてしまった週末であった。

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