第2回 エミリ・ブロンテ

Emily Jane Bronte(1818-1848) 作家
激しい情熱を内に秘めた一作で英文学史に燦然と輝く女流作家

エミリと私の出会いは中学生の時。「嵐が丘」という本のタイトルと表紙のデザインに、ロマンチックに憧れる10代の私は心ときめいてページをめくったのものでしたが、内容は甘いロマンスだけではありませんでした。人間の基本となるであろう感情を描くこの作品にはロマンスどころか夢さえも打ち砕かんばかりの愛憎劇があったのです。凄まじいまでの男女の、そして2つの家族の小説を書いたエミリは、著名な女流作家を多数輩出している英国文学史上の最高峰に位置する一人。

エミリはイングランド北部ヨークシャーの寒村ハワースで6人兄弟の5番目に生まれています。父は牧師、母は敬虔なメソジスト派の女性で、姉の2人は幼児期に死亡しており、文筆家でもあった父から教育を受けた残った4人は、以後死ぬまでほとんど一緒に過ごしています。

子供時代に空想物語を作り出して遊んでいた4人は、成長すると家庭教師として働きながら詩や小説を書き始めます。4人ともあまり体は丈夫ではなかったらしく、しばしば転職もあったようですが、姉妹3人は詩を共同で自費出版します。当時の時勢柄、男性のペンネームを使用した「カラー、エリス、アクトン・ベル詩集」というものでした。

エミリが28歳のときに姉妹2人の作品とともに「嵐が丘」を発表します。シャーロットは「ジェーン・エア」、アンは「アグネス・グレイ」。しかし、この時は「ジェーン・エア」が評価されたのみでした。「嵐が丘」は過激である上、未婚女性であり恋愛の経験もないエミリにこの作品がかけるはずはないとの判断からでした。当時は、美術的才能も持ち、少年時代から神童と言われていた兄のブランウェルが書いたのではないかと思われていたのです。

今日、「嵐が丘」の主人公ヒースクリフとキャサリンはともにエミリの分身であるとされています。荒野と動物を愛し、自然と一体となることで真の自由を手に入れようとしていた頑固で変わり者といわれていたエミリ。心の内側に秘めていた激しい情熱と正反対のような地味な彼女の人生は、逆に「嵐が丘」とい嵐が丘 (新潮文庫)う作品を魅力的なものに見せているようでもあります。

荒涼たる土地で熱い思いを抱き続けて生きたであろうエミリの心を今知ることは出来ません。生まれ故郷を離れることも結婚も選ばなかった彼女は、たった一作残したこの作品で何を語りたかったのか、私はふと考えることがあります。エミリは名声や名誉、世間体や建前などよりも本当に自分が必要としていたものを知っていたのではないかと思うのです。そして、それを追い求めていたのではないかと。手の届かない理想と人は言うかもしれません。けれど、あきらめないこと、続けることの強さを見せてくれているのではないかと私は感じてしまうのです。「継続は力なり」ですよね。(2000/05/20)


エミリの作品は小説では「嵐が丘」一作である。他に何篇かの詩作があるが、ブロンテ姉妹が「カラー、エリス、アクトン・ベル詩集」を出版した時は、評価されたのがエミリの詩だけといわれ、彼女は詩人としての評価が高い。
小説の「嵐が丘」は「ジェーン・エア」同様に何度も映画化・ドラマ化されているが、私のお気に入りは1992年に製作された作品。ピーター・コズミンスキー監督、キャサリンはジュリエット・ビノシュ、ヒースクリフにはレイフ・ファインズという配役。キャサリ嵐が丘 [DVD]ンはともかく、レイフ演じるヒースクリフが、何より少女時代にこの本を読んで私が想像していたヒースクリフにぴったりだったのが印象的だった。

エミリ・ブロンテに関しては緑さんのMidori’s Roomでも詳しく紹介されています。作家の年表や映画化・ドラマ化された作品について見ることが出来ます。その他の作家もたくさんあるので 是非見て下さいね。