血の伯爵夫人

THE COUNTESS 2009年 ドイツ・フランス作品
監督:ジュリー・デルピー
出演:ジュリー・デルピー(エリザベート・バートリー役)、ダニエル・ブリュール(イシュトヴァン役)、ウィリアム・ハート(ジェルジ役)、アナマリア・マリンカ(アンナ役)、ゼバスティアン・ブロンベルク(ドミニク役)


この映画のモデルのバートリー伯爵夫人についてと、彼女をモデルにした作品
ジュリー・デルピーが監督、製作、脚本、音楽、そして主演と一人5役をこなすこの作品は、16世紀に実在したハンガリー貴族、エリザベート・バートリーの話である。バートリー伯爵夫人は、この邦題の通り、「血の伯爵夫人」としてその名を歴史にとどめている美しき残酷な悪女だ。自らの若さと美を保つためには処女の血が必要であると考え、それを手に入れるためにうら若き娘達を城に連れ込み、拷問をした上に搾り取った血で自分の肌の老化を防ぎ、その美を保っていた、というだから、それを聞けば恐ろしさで震えがくる。
これもでも何度か彼女をモデルにした映画は作られているということだ。私は未見だが、やはりその内容は残酷な悪女のおどろおどろしいホラー映画のようである。歴史好きの私としては彼女のことは知っていたのだが、ホラー映画となると見たくはないし、実は彼女をモデルにした漫画があって、かつて読んだことはあった。それは池田理代子先生の書いた「ベルサイユのばら」の外伝版として書かれた「黒衣の伯爵夫人」である。当時のブームに漏れず「ベルばら」ファンだった私は、オスカルとアンドレがこのそらおそろしい伯爵夫人の城に滞在するこの外伝版ももちろん読んだ。前述のように美に執着する城の女主人が拷問道具を使って娘達に残忍な行為をする内容だった。
バートリー伯爵夫人の悪女ぶりは、歴史が伝える通りだとすると、ジュリー・デルピーが作ったこの作品はどうなのだろうか、とちょっとチェックした後、やはり観てみることに。というのも、この映画では確かに伯爵夫人の残忍な行為は描かれているが、デルピーの解釈は少しだけ歴史で語られているものとは違うようである。長いこと身勝手な美女の残酷な事件として知られてきたバートリー伯爵夫人の話は、現在では政治的な問題や利権がらみの抗争に巻き込まれた女性かもしれない、という見方もあるということである。もちろんそれは、彼女の残忍な行為がすべて否定されるものではないものの、この映画の中でヒロインの相手役として登場するイシュトバンが、「今では父の語るバートリー伯爵夫人の残酷な姿が全て本当かどうかはわからない」と語るように、有能で冷酷な軍人でもある夫を失い未亡人となった彼女を陥れる策も巡らされていたのではないか、というのだ。そんなところも脚本に盛り込まれた内容になっていた。


前述の通り、そういうわけでこわーい道具やナイフでグサリといったシーンはあるものの、全体の雰囲気としてはただの悪女として捉えていいのか、という気持ちにもなってくる。バートリー伯爵夫人は、その幼少時代やもともと持っていたであろう気質(賢いが、なかなか冷酷で奔放)に少々難ありの人であったことは映画でも描かれている。愛人も男女問わずたくさんいたらしい。そこも歴史になぞらえてある。別の作品の感想でも書いたが、歴史を題材にしているからといってそれに忠実である必要はないと私は思っているので、おそらくデルピーの解釈を想像の部分として脚色したであろう自分より若いイシュトバンとの恋愛の部分が私の興味を引くところである。

子はもうけたものの、夫とは政略結婚である。子供の時から決められていた男性との結婚は別に当時としては珍しくもなかったであろうが、よくあるように深い愛情で繋がっている関係ではないだけに、夫の死後に出会った若く美しく、そして純粋なイシュトバンがどれだけ魅力的な若者に見えたかは十分理解できる。そして、その父ジェルジが反対することも。

ただここではジェルジはもともとバートリー伯爵夫人に対していい感情は持っていなかったかのようにも描かれている。王がこの夫妻に対しに莫大な借金を抱えていたことや軍人でもある彼女の夫は戦争に勝利するという功績もあったことで、国王ですら彼らには頭が上がらないことや、その多額の資産、そして時に垣間見せるバートリー伯爵夫人の賢さなどなどが、どうも気に入らなかったのがジェルジのようだ。自分の権力を広げたい野望もあったろう。そんなこんなでジェルジは二人の恋路を邪魔する作戦にでる。バートリー伯爵夫人に様々な罠を仕掛け、神父殺しの罪まで着せるような汚い手段さえ使うのだ。

一方、ジェルジの策略と知らないバートリー伯爵夫人は、自分の元から去ったイシュトバン(無理矢理、父に引き離され、バートリー伯爵夫人には父が嘘の情報を流していたのだが)をそれでも愛おしく思うあまり、彼が去ったのは自分の容姿が衰えているせいと考えるようになる伯爵夫人。そこから歴史に知られるような狂気の沙汰へと発展するのだ。

だが、いくら恋しい感情が強くてもこんなにまで若さや美に執着するなんて、とやはり感じてしまう。美しければ美しいほどそうなるものなのだろうか。あまりのギャップにその醜さに苦しんで? 本当にそうだろうか? 「女は顔じゃない、心よ」という話もあるのに? まあ、でもそれは全くの真実と私も認めてはいないが(やっぱり美人の方がいいに決まってる)、誰もが外見は衰えていくものである。それは自然の摂理で逆らえない。とはいえ、「恋は盲目」とも言うように、その最中にいると冷静ではないのかもしれない。イシュトバンの髪の毛を自分の胸に埋めるまでのことを彼女はしたのだから。悪女が哀れに思えてくる作品である。

逮捕された彼女は歴史にあるように城の一部屋に監禁される終身刑を言い渡される。明かり取りと食事を差し入れる小窓だけを残して全部の窓を覆われた暗い場所である。そして、亡くなった後は棺に納められることなく墓に埋められ、その墓場でイシュトバンが、「全て本当かどうかはわからない」と別れを告げるシーンで終わる。結果的に彼女の逮捕に協力した形になったイシュトバンではあるが、彼女への愛は偽りのないもの、そして彼女からの愛情も本物であったと思わせる最後だ。

いつの世も語られている歴史はある一面でしかない。陽があったっているのは片方だけだ。残りの半分は語られず、陰の中で陽に寄り添う。だとすれば、見えている部分だけが全部ではないのだから、知っていることが真実のすべてとは言い切れないのだ。そんな思いになったラストであった。

最後まで観てまた気になったこと、それは彼女の子供達はどうなったのか、ということ。映画の本筋とは関係ないので描かれていないが、彼らは彼女の遺産を無事受け取ったらしい。映画の中では父が死んでからはバートリー伯爵夫人がパリへと避難(戦争から逃れるため)を兼ねた留学をさせているが(その後、ジェルジに母の逮捕のために利用される展開となっている)、こうした歴史に名を残した女性の作品を観ていていつも思うのは、子に対する愛情が非常に薄く見えることだ。自分で子育てをしない上流階級、ということだとしても重要な決断をする局面において子供のことを考えない母親はいるのか? と少し疑問なのだ。今となってはそれも想像するしかないが……。

さて、主演のジュリー・デルピー。この役はちょっと意外ではあった。バートリー伯爵夫人のイメージがもっと冷たい美女、クール・ビューティーの印象があったせいだ。おっとりした印象のジュリーは、ぴったりとは言い難い。だが、観ているうちに気にならなくなった。好きな女優の一人ではないが、気になる女優ではある。
相手役のイシュトバンを演じたダニエル・ブリュールはスペイン出身のイケメン俳優だ。甘い二枚目と言っていい。確かにかっこいい。デルピーが作ったロマ・コメ映画「パリ、恋人たちの2日間」、「ニューヨーク、恋人たちの2日間」にも出演している。「グッバイ・レーニン」や「青い棘」といったドイツ作品に出ているが、私が観たのは「ラヴェンダーの咲く庭で」。この作品の主人公姉妹の家に世話になるイギリス、コーンウォール地方の海岸に流れ着いた青年アンドレア役は非常に印象的だった。イシュトバン役はこのアンドレアと通じている感じも……。こんな青年なら、やっぱり恋におぼれちゃうか……、と思ったりもして。日本でももっと人気になってもいいような気もするハンサムさんだが、公開作品が少ないせいなのか人気は思ったほどでもない? 今後を期待しよう。(2013/4/19)

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