草の上の月

The Whole Wide World 1996年 アメリカ作品
監督:ダン・アイルランド
出演:ビンセント・ドノフリオ(ロバート役)、 レニー・ゼルウィガー(ノーベリン役) 、アン・ウェッジュワース(ロバートの母役)、ハーヴ・プレスネル(ロバートの父役)、ベンジャミン・モートン(クライド役)


久しぶりに素敵な邦題がついた作品。冒険作家のボブと作家を目指す教師のノーベリンのしっとりとした恋にぴったりのタイトルと言えそう。初めてのデートで「君のためにこの月を用意した」と言うボブのロマンチックぶり。彼は美しい夕日の時もそう告げます。ノーベリンはボブの言葉の魅力や誠実さを素敵な所と言い、彼に自信を持たせようとするけど、まさにその通りだと思えてきます。

ボブの作品(アーノルド・シュワルツェネッガー主演、ジョン・ミリアス監督で映画化された作品は「コナン・ザ・グレート」原題「Conan the Barbarian 」)を読んでいない私はこの映画の中だけでしかわからないけれど、目に見えないものの美しさを感じとるノーベリンの繊細さは実際ボブ自身も惹かれてた部分なのではないかとも思います。

けれど、社交的な面も持ち、自分の人生に前向きなノーベリンと、人と交わることを拒み病気の母親の看病と小説を書くことだけの生活から抜け出せないボブとでは、あまりに大きな溝があります。人気冒険小説作家でありながら、マザコンとも取れるような母親との親密さは父親でさえも入り込めない。正反対の二人はお互い惹かれあっていても、目の前の問題を乗り越えることが出来ません。それは、付き合い始めた頃の「友人のパーティーへ行くかどうか」でもめた時点でこの恋の結末は決まっていたようにも見えます。

「こんな自分を何故好きなのか?」と問うボブと、「母親の世話だけの生活から自立して」と頼むノーベリン。ノーベリンの語ったボブの魅力とは、おそらくそうなのであろうと私は共感するところがあります。引きこもりがちで他人から誤解されているボブの姿をみんなに知ってもらいたい、ボブ自身もそういう点に注意してほしい、という気持ちは痛いほどわかります。

自分の好きになった人はこんなに素晴らしい人なのよ!、と女は示したいもの。そして、共に楽しみ、笑い、安らぐひと時を分かち合いたいと願うもの。「それが何故わからないの? このおたんこなす」とボブに言いたくなるけど、ノーベリンと共に過ごす時さえあればいいと思う彼は決して言ってはいけない言葉を告げてしまう。「縛られたくないんだ」

生きている限り人は何ものにも縛られずにいることは出来ないはず。ノーベリンはその後、大学で勉強をすることになり町を出て行きます。

きっとボブのノーベリンへの思いは真実で幸せなときを二人で過ごしたことも彼にはよくわかっていたのでしょう。それでもなお、この恋を成就させなかった(出来なかった?)二人の間にあったものとは何なのでしょうか? 母の命がもう危ないと知った時点で自らの命を断ってしまったボブの真意は不明のままです。

ただ言えるのは、お互いが違うから惹かれるという事実の裏側には違いすぎて交われないという事実もあるのではないかということ。共に生きていくには、そのスタイルも考え方もあまりに離れていたその溝を埋めるのは「愛」だけでは難しい。最期、ノーベリンには一言もなく逝ってしまうボブ。彼女の気持ちを思うと胸がぎゅっとなるけれど、故郷へ向かうバスの中で美しい朝日を見つめるラストが印象的でした。(2001/08/12)

目次へ戻る

映画

前の記事

グラディエーター
映画

次の記事

交渉人